【歴史解説!】箸置きのルーツと普及の始まりとは?

こんにちは!

スワブ工房HP担当の山ちゃんです!


早速ですが、今回は「箸置きの歴史」について解説していきたいと思います。

記事の最後に「この記事に出てくる用語の解説」も載せておきますので、是非ご覧ください!


箸置きの起源


歴史を語るうえでは欠かせない「ルーツ(起源)」ですが..

箸置きの起源は【耳かわらけ】といわれています。

「耳かわらけ」というのは、古代から伊勢神宮等で行われる神事の際に使用されていたもので、主に神様へ供物を捧げるときに使われていた道具といわれています。

この解説だけ聞くと、古代から神社で使用されているなら「箸置きって昔から使われているメジャーな道具なのでは?」と思いがちですが..

実はそうでもなかったようなのです!


平安時代には「庶民も、貴族も、ご飯に箸を立てていた!?」


子どもの頃、茶碗に入ったご飯に箸を立てて「そんなことしたらダメ!」と強く𠮟られた方は多いのではないでしょうか?

現代では、間違いなくマナー違反の行動ですが..こちらの行動平安時代の食事では一般的な行動だったのです。

そう..実は平安時代では庶民どころか、貴族でさえも箸置きを使用せずご飯に箸を直接刺していたのです

なんなら、箸だけではなく「匙」(さじ=現代のスプーン的な物)までご飯に刺していたというのですから驚きです。

この光景は、平安時代に作成された絵巻として有名な「病草紙(やまいのそうし)」にも描かれていますよ!

※「病草紙」に描かれた絵が気になった人は、是非googleで検索してみてくださいね!

まぁ..そんな時代でしたので「伊勢神宮等の神事以外で」当時箸置きを使用していた人は限られており、ごく一部の上流貴族と天皇だけだったといわれています。

※当時の上流貴族と天皇は「馬頭盤(ばとうばん)」と呼ばれる箸置きを使用していました。


庶民にも箸置きが広まったのは江戸時代以降!?


これまで解説してきたように、平安時代頃の箸置きといえば「一部の特権階級の人or神事を行う人が使う道具」というイメージでした。

そしてそれは「江戸時代」まで続きます。

そう..箸置きは、江戸時代に入ってから、ようやく一般にも普及し始めるのです!

..とはいっても、江戸時代の時点では「広く一般に普及といえるレベルには至らなかったようですが..苦笑」

では、現代のように「箸置きが広く一般に普及する時代はいつ頃なのか?」

それは【明治時代】といわれています。

これには理由があり、江戸時代までは、1人前の和食を膳に乗せたスタイルでの食事方法が多かったのに対し、明治時代になると、西洋文化が入ってきた影響で、家族で1つのテーブルを囲んでの食事スタイルが多くなったことが影響しているといわれています。

まぁ要約すれば..明治時代になると、食事用テーブルに箸を直接置くことになってしまったということですね..

でも、これではなんだか不衛生..ってことで、箸置きが広く一般に普及を始めるということになるのです!

このように日本人の食事スタイルに大きな変化が起きたことで、衛生管理の方法にも変化が発生したのです!

その時代の流れに合った衛生管理を行うために、明治時代以降「多くの人が箸置きを利用するようになっていった」というわけですね!


まとめ


今回は「箸置き」についての歴史解説を行ってきました!

いかがでしたか?

布製箸置きは、スワブ工房でも取り扱っています!

気になる方は是非ご覧ください!(在庫切れの場合はご容赦くださいね)


さて、最後に今回出てきた用語の詳しい解説を載せておきましたので、是非一度ご確認くださいね!

では、また次回の投稿で!(∩´∀`)シ ♪♬


【記事に出てくる用語解説】


【–用語解説–】

※1「耳かわらけ」とは..耳の形に似た素焼きの土器(どき)のことである。

※2「土器」という漢字には「かわらけ」という読み方が含まれている。

※3「耳かわらけ」の他にも「かわらけ」と呼ばれる素焼きの酒器(盃)や、小皿も存在する。

※4「かわらけ(盃)」=「現代の紙コップ的な物」であり「耳かわらけとは若干用途が違う」ので混同に注意。

※5「かわらけ(小皿)」=「現代の紙皿的な物」であり「かわらけ(盃)と共に大宴会で多く使用された」

※6「馬頭盤」とは..脚付き皿の箸置き。ちなみに、匙置きとしても使用出来る。

【–おまけ–】

日本各地の観光地(主に関西地方の景勝地)では「かわらけ(盃)投げ」といわれる「厄除けを兼ねた遊び」が存在する。

戦国武将が出陣する際に行った必勝祈願の儀式が由来とのことなので、興味ある方は是非「かわらけ投げ」で検索してみてくださいね!

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